母を見舞う2014年05月23日 21時47分53秒

ことし89歳になる母は昨年秋からいわゆる老人保健施設に入院していて、近くに住む姉夫婦が日常の世話をしている。その母が数週間前、主治医から末期がんであると告げられた。出血が止まらず、貧血もひどくなってきており、そう長くないだろうと姉から報告があった。

昨年秋に見舞った時はまだ大丈夫だろうと思っていたから、報告を聞いて驚いた。すこしでも元気なうちに会っておきたいと思い、妻と一緒に岩手の母を見舞うことにした。

当地から岩手まで直行便があるが、ローカル線は海外に行けるほど値段が高い。我が家には結構な負担である。そこで、格安な路線がある仙台経由で行くのが最近のスタイルになっている。

岩手には2日滞在した。ずっと雨だった。
病室に行くと母は浅い眠りの中にいた。頻繁に咳をして苦しそうである。妻が手を触れると、一体誰がそばにいるのかといぶかしがるようにして目を開いた。妻が声をかけると一瞬驚いた様子で、強い岩手なまりで「夢のようだ」と語った。

妻は、地方の病院で研修をしている私達の息子の写真を三枚用意してきていた。母は孫の写真をしげしげと見つめ、私に似ていると言って喜んだ。
それからあれこれと一時間ほど世間話をし、「また明日来る」と言ってその日は帰ることにした。

姉夫婦は夕食を用意して私達を待っていてくれていた。本当は病院から母を引き取り、家で最期を迎えさせたいと思うのだが、協力してもらいたい義姉があいにく海外旅行中で、どうにもならないのだと、姉はため息をついた。

翌日再び母を見舞った。きのう妻がもってきた写真は、テレビの前に飾られていた。
母は、食事には手をつけたのだが半分も食べられなかったと言って横になっていた。元気にならなければと願いながら、これまでと違って改善していかない体調に戸惑っている様子だった。その母が「今度いつ来てくれるのか」と尋ねる。戸惑いながら「お盆辺りになるだろう」と答えると、「それまでに元気になって、また一緒に外で食事をしたい」と言う。

たまたまそこへ主治医が来てくれたので、主治医から母の容態について話を聞くことができた。七十代と推測されるその医師は熟練した印象で、ひとことふたこと言葉を交わしただけですぐに心の真っ直ぐな方であることがわかった。その医師がこんなことを教えてくれた。「お母さんは、三人の子どもを育てるとき、正直金銭的に辛かった時期があって、そんなとき自分たちは着るものや食べるものを切り詰め、子どもたちに不自由させないようにと頑張ったと言っておられました。」

愚痴など殆ど言わない母親である。これまで、母親の口からそんなことばを聞いたことがなかった。医師を介して、我ら息子娘たちを育てた母の苦労を初めて知った。そしてそんなことをそっと教えてくれた医師に心から感謝した。義姉は、この病院に対していろいろな不満を持っていたようだが、少なくとも私には最期を迎える母にとって最良の場所であるように思われた。

病室に戻る途中、看護師が声をかけてくれて、母の日常のことも教えてくれた。「非常に謙虚な方で、私達の手を借りることを遠慮されているご様子です」と、少し困ったような顔をしていた。スタッフたちが母のために心を尽くしてくれていることがわかった。私達は頭を下げて礼を述べた。

病室には1時間半ばかりいただろうか。帰る時間になったので、母の手を握りながら「また来るから」と言って別れた。母はベッドに横になりながら、ずっと手を振っていた。おそらく生きている間に会えるのはこれが最後になるはずである。母の姿を目に焼き付けるようにして、病室を後にした。妻は廊下に出て泣いた。

悲しみも多かったが、いろいろなものを思いがけなくプレゼントされた、自宅に戻ってみるとなんだかそんな印象の思い出深い旅となった。

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