ペダリング考2009年12月20日 18時44分22秒

 雪も本格的に積もり、ここ数日間は真冬日が続いている。オフシーズンはひたすら屋内練習に励むことになる。そこで最近気がついたことをメモしておく。

 以前、「肩甲骨までが脚だ」というようなことを聞いて何のことかと思ったことがある。肩甲骨も動員してペダリングするのだろうか。そうすると上体が左右に揺れてしまう。それでもOKだと納得したつもりだった。しかし、どうも何か勘違いしていたかもしれない。
 ペダリングしているときの姿勢なのだが、うまく全体のバランスがとれていると、体が全く揺れない。むしろ上体が揺れているときは何か無理をしているか、バランスを崩しているときか、いずれにしてもパワーロスにつながっているようなのだ。そこで改めて肩甲骨あたりがどうなっているか意識していると、なるほど全く動かない。イメージとしては、昆虫標本で昆虫が虫ピンで固定されていることを思い起こす。左右の肩甲骨の中心を何か心棒のようなものが貫いていて、しっかりとトップチューブに固定されている。どうもそんな気がしてくるのだ。

 自分の考えが合っているのかどうか確かめるために、たまたま手元にあった雑誌の付録についてきたDVDを再生して観察してみた。そうすると確かにプロ選手の体はペダリングしていても全く左右に揺れていない。高いケーデンスで回していても、頭の位置は動かない。自分の考えが間違っていなかったことを確認した。

 これから三月までの室内練習の目標の一つはこうなる。高い負荷がかかったとき、高いケーデンンスときも、上体を揺らすことなく、頭の位置を固定させながらペダリングする。たいてい疲れてくると、それが難しくなる。疲れても維持できるような体作りが求められる。

片山右京さん2009年12月20日 19時02分16秒

 新聞で片山右京さんが富士山で遭難し、仲間二人を失ったことを知った。冬の富士山の恐ろしさ、その中でも強風の恐ろしさが特別であることは昔新田次郎の小説を読んだときから頭に残っていた。私は冬富士を上るまでの技術はないが、冬山を上った経験はいくつかある。そして今は自転車に入れ込んでいる。片山さんのレベルとは全く違うが、興味においてはいくつかの重なりがある。だから、今回の事故は何か他人ごとではないような思いをしている。

 数ヶ月前、たまたまテレビで片山さんが自転車で走るところを見たとき、すごい人だと思った。そしてどこか少年のような一途で純粋な心をもっておられる方でもあると感じた。だから一瞬にして二人の仲間を失ってしまった悲しみはどれほどかと考えている。責任感の強い方だから、自分を責めておられるのではないかとも思う。この事故について、あちこちからいろいろな意見が出たり、なかには非難も起こるだろう。
 
 しかし考えたいのは、結果だけを見てああすればよかったとか、こうすればよかったということではない。外野席から意見を言うことは簡単である。でも、人間には最善を尽くしたつもりでも、どうすることもできないときが必ずある。それは誰にでも起こりうることではないだろうか。そんな人間の悲しみと弱さを私は思わずにはいられない。だから片山さんのことは、決して他人事ではないと感じるのだ。