2015年に亡くなった思い出の三人 ― 2016年01月03日 15時22分13秒
年が明けてから昨年のことを振り返るのはちょいと遅すぎだが、2015年に亡くなった方々のことをどうしても書いておきたかったので。
ここに書くのは私の身近な人たちではなく、子供の時から、あるいは若い時から心の中に印象深く刻まれた人たちである。
原節子さん
この方と初めてお会いしたのは私がまだ大学生の頃で、場所はトイレの匂いがかすかにしてくる小さな映画館の中だった。東京物語である。
この映画を見たときの衝撃は今でも忘れない。
今まで見たことのない画面構成、人物の動き。ただただ驚いた。原節子さんがそこにいた。以来、小津監督に私も取り憑かれてしまって今日に至っている。
最近、「青い山脈」を見ていたら、小津監督の映画とは違う活発な表情の原さんがそこにおられ、新鮮な魅力を感じた。やはり大スターである。
加藤武さん
黒澤明監督の「悪い奴ほど良く眠る」で、三船敏郎の相棒役をやっていた。ハリのある独特の声は今も耳に残る。
熊倉一雄さん
この人に最初に出会ったのは、おそらくNHKテレビでやっていた「ものしり博士」のケペル先生であろう。どなたかが書いておられるように、あの人形は子供心にちょっと怖かった記憶がある。
「やあ、こんにちは。元気かね? なんでも考え、かんでも知って、なんでもかんでもやってみよう。」このことばが小さな頭に刷り込まれ、もしかして後年の私の人生に少なからぬ影響を与えたのかもしれない(おおげさか)。
小学生時代、「ひょっこりひょうたん島」のトラヒゲに夢中になり、長じて映画を見るようになってからは、黒澤監督の「天国と地獄」で市場の兄ちゃん役で出演されいる若き熊倉氏に再会した。
昨年だったか、偶然つけたラジオの生放送でゲストに招かれた熊倉さんが少し短くお話しされていたのを覚えている。
もうこの人に並ぶ声優は出てこないのではないかと思う。
こうして振り返ると、いずれも日本の映画の黄金期を支えた方々である。昭和はますます遠くなっていく。
ここに書くのは私の身近な人たちではなく、子供の時から、あるいは若い時から心の中に印象深く刻まれた人たちである。
原節子さん
この方と初めてお会いしたのは私がまだ大学生の頃で、場所はトイレの匂いがかすかにしてくる小さな映画館の中だった。東京物語である。
この映画を見たときの衝撃は今でも忘れない。
今まで見たことのない画面構成、人物の動き。ただただ驚いた。原節子さんがそこにいた。以来、小津監督に私も取り憑かれてしまって今日に至っている。
最近、「青い山脈」を見ていたら、小津監督の映画とは違う活発な表情の原さんがそこにおられ、新鮮な魅力を感じた。やはり大スターである。
加藤武さん
黒澤明監督の「悪い奴ほど良く眠る」で、三船敏郎の相棒役をやっていた。ハリのある独特の声は今も耳に残る。
熊倉一雄さん
この人に最初に出会ったのは、おそらくNHKテレビでやっていた「ものしり博士」のケペル先生であろう。どなたかが書いておられるように、あの人形は子供心にちょっと怖かった記憶がある。
「やあ、こんにちは。元気かね? なんでも考え、かんでも知って、なんでもかんでもやってみよう。」このことばが小さな頭に刷り込まれ、もしかして後年の私の人生に少なからぬ影響を与えたのかもしれない(おおげさか)。
小学生時代、「ひょっこりひょうたん島」のトラヒゲに夢中になり、長じて映画を見るようになってからは、黒澤監督の「天国と地獄」で市場の兄ちゃん役で出演されいる若き熊倉氏に再会した。
昨年だったか、偶然つけたラジオの生放送でゲストに招かれた熊倉さんが少し短くお話しされていたのを覚えている。
もうこの人に並ぶ声優は出てこないのではないかと思う。
こうして振り返ると、いずれも日本の映画の黄金期を支えた方々である。昭和はますます遠くなっていく。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://john.asablo.jp/blog/2016/01/03/7969983/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。