いのちについて2009年02月10日 13時31分00秒

 妻の母が亡くなった。特に悪いところもなく、元気にしていたのだが、ある日交通事故に遭い、81歳の生涯を閉じることになった。青信号で交差点の横断歩道を渡っていたときだった。まさかということが現実に起きた。誰もが突然の出来事を受けとめられず、おろおろしていた。「私の人生は幸せだった」といつも口癖のように周囲のものに言っていたのが救いである。残されたものにとってはつらいことではあるが、徐々に体の自由を奪われる苦しみを味わうことなく、また記憶を失って行くつらさをとおることもなく、ぽっくり逝ったのだから、考えてみると案外理想的な亡くなり方だったのかもしれない。もっとも、そんなことは気休めなのだが。

 義母の死を通していのちについて考えさせられた。私の息子も葬儀に立ち会った。祖母の死を通して、孫たちが人の命の尊厳を受けとめたのだろうと思う。祖母は、私たちに大切な宝を手渡してくれた。

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