いのちについて2009年02月10日 13時31分00秒

 妻の母が亡くなった。特に悪いところもなく、元気にしていたのだが、ある日交通事故に遭い、81歳の生涯を閉じることになった。青信号で交差点の横断歩道を渡っていたときだった。まさかということが現実に起きた。誰もが突然の出来事を受けとめられず、おろおろしていた。「私の人生は幸せだった」といつも口癖のように周囲のものに言っていたのが救いである。残されたものにとってはつらいことではあるが、徐々に体の自由を奪われる苦しみを味わうことなく、また記憶を失って行くつらさをとおることもなく、ぽっくり逝ったのだから、考えてみると案外理想的な亡くなり方だったのかもしれない。もっとも、そんなことは気休めなのだが。

 義母の死を通していのちについて考えさせられた。私の息子も葬儀に立ち会った。祖母の死を通して、孫たちが人の命の尊厳を受けとめたのだろうと思う。祖母は、私たちに大切な宝を手渡してくれた。

Aleph-X アンプ その22009年02月10日 13時40分48秒

 自分なりにAleph-Xの思想を理解しようとあれこれシミュレーションしていた。こうすればもっと良くなるのではと、手を加えてみたりして、それはそれで面白いことではあった。一時は、自分のアイデアに悦に入ったりもした。しかし、少し考えるとことごとくオリジナルに及ばないことが判明してくる。恐るべし。あらゆることが考え尽くされて今の姿になっていることをつくずくと思い知らされるばかりである。

 一見不合理に見えたり、一見どうしてこんな面倒なことをと思えたりするところがある。そうしなければならない訳がある。素人はそこが理解できないので、すぐに手を入れたくなる。その一つが、終段の上側にある定電流回路だ。一見非常に複雑でこなれていない回路に見える。でも、うっかり手を入れると後でひどい目に遭うはずだ。でも、なんとかもう少しすっきりさせたいと言う思いは消えないでいる。

 Nelson Pass氏のアジテーションにのせられてしまったのか、すっかりシングルエンド党になってしまった。SEPPはもう作る気がしなくなった。効率が悪いのは確かだが、今までのアンプ設計は暗黙のうちに効率を優先して当然のようにSEPPを選択してきたのではないか。音の面でSEPPが最も優れた選択肢となりうるのか、もう少し議論があっても良いのではないだろうか。

 MJ誌のバックナンバーをひもとくと、シングルエンド出力アンプをある方が忍耐強く発表されていることに気がついた。昔は「遅れたアンプ」と思って見向きもしなかったが、先見の明に脱帽。ついでに言えば、その方は早くからIRのFETに着目し、積極的に紹介してくださっていた。当時はネットも発達しておらず、入手は難しかったかもしれないが、こちらの点でもやはり優れた着眼点をもっておられたと思う。

X SOZの魅力2009年02月24日 12時57分51秒

 このところずっとAleph-Xのことをアンプを考えていた。心の中では、これが本命かなと決めかけていた。数日前に、diyAudioの掲示板の中にある"X SOZ"を覗いてみた。以前にも見ていたのだが、そのときはあまり関心を引かなかった。ところが、今回俄然興味がわいてきた。

 SOZとは、Son of Zenの略。Nelson Pass氏が命名したのが始まり。MOS-FET一段のパワーアンプである。Xとは、これをバランスタイプにしたものを意味する。バランス入力、バランス出力である。ネットで検索してみると、日本で実際にSOZを作った人は一人しか見当たらない。X SOZは皆無だ。片チャンネルMOS-FETが4個、普通の小信号トラが2個。それだけ。回路は非常に簡単。しかし、動作は非常に巧妙だ。ソース接地のドレイン出力である。ゲインをもっている。ドレイン負荷は定電流回路(CCS)である。普通なら出力インピーダンスが高くて使いづらいところだ。ところが、この定電流回路にNelson Pass氏がパテントをもっているSuper Symmetry回路が組み込まれていて、これによって劇的に出力インピーダンスが低くなる。

 I/Vコンバーターが電流出力タイプであっても、ちょっと改造すれば対応できそうだ。むしろこちらの方が部品点数も少なくなるし、カップリングコンデンサも省略できて都合が良い。基板らしい基板を作らなくても立派なアンプができてしまう。その代わりに放熱器はかなり大がかりになるのだが。

 日本でももっともっと注目されて良いアンプだと思うのだが、どうだろうか。X SOZの制作過程をこれからちょこちょこ紹介していきたい。完成までにはちょっと時間がかかるかもしれないけれど。

 それにしても、diyAudioには世界中のオーディオフリークが集ってすばらしい意見の交換が行われているとつくづく思わされる。それなのに、オーディオが盛んであると言われる日本人の参加は寂しい限りだ。私の見た限り、ほとんど見当たらない。英語の壁はあるが、アジアやヨーロッパからも「英語は下手だけれども」と言いながら積極的な参加をしている。店頭に並んでいるオーディオ誌だけがオーディオの世界ではないことがわかる。目が開かれる思いがする。皆さんにもぜひ参加をお勧めしたい。

滑らかに回す意識2009年02月24日 17時51分48秒

 週に5日ほどの頻度で室内トレーニングをしている。昨年の今頃は低ケイデンスで重いギアを回すのが良いことだと思っていた。今は高ケイデンスで滑らかに回すことに意識を集中している。

 言葉で言うのは簡単だがこれが難しい。1〜2年で習得できるようなものではない。年齢が高くなるにつれハードルは高くなるからなおさらだ。二三日練習をさぼると、最初の数分はクランクを回そうとしてもぎくしゃくしてしまう。体はすぐに忘れてしまう。

 滑らかに回すイメージをどのように言葉で表現するのが適切なのかと考えていた。そうしたら真鍮の円柱が頭に浮かんできた。足の裏で円柱の表面を丁寧に磨いていくイメージだ。クランク長が円柱の半径となる。
 回転にむらがあると円柱でなくなる。力が入りすぎたり、あるいは力がかからなかったりするから、表面は多角形になってしまう。これをできる限り真円に近い形に磨き上げていくことを頭に思い描く。

 昔、アマチュア天文家が天体望遠鏡のレンズを作るためにガラスから磨き上げていくというのを聞いたことがある。すごい技術だと思った。家には円形の大根おろし器がある。できるだけ平らになるように大根を動かすのだが、いつも斜めに削られていく。とても自分にはレンズは磨けないと思った。これと似たようなことを足でやろうとするだから。。

 スポーツというのは、頭の世界と肉体の世界とを結びつけていくきわめて知的な作業なのだと思うようになってきた。筋肉の動きを自分のイメージにぴったりな言葉で表現していく。言葉をひとつひとつ自分の中で練り上げていく。スポーツも芸術だった。