我が家の庭にも春 ― 2025年04月14日 14時58分48秒
春は足踏み ― 2025年03月20日 19時49分28秒
1月は記録的な少雪で、このまま春になるのかといぶかっていたら、2月に入るとどんどん降り出し、いつもの年と変わらぬ風景になった。
3月も中旬を過ぎると、いつから自転車で走られるかと気もそぞろになるものだが、今年はそれどころではない。
雪がどっかりと積もったまま。夏なららくに車がすれ違えるのに、これでは1台通るのがやっと。
今シーズンの初乗りは4月に入ってからになるだろう。
3月も中旬を過ぎると、いつから自転車で走られるかと気もそぞろになるものだが、今年はそれどころではない。


長期休暇はじまる ― 2024年07月02日 20時07分38秒
この21年間、ほとんど休みらしい休みをとらず、毎日目の前のことをこなすのに精一杯で、とにかくがむしゃらに走ってきた。
しかしいつまでもそんなことが続くものではなく、年齢とともにいろいろなことに衰えを感じるようになるとともに、からだの奥底にじわーっとしたえも言われぬ疲れが溜まってきて、このままではなにか自分らしさが失われていくような気がしてきた。
そこで65歳の定年を迎え、再雇用されたのを期に、職場の皆さんにお願いして長期休暇をいただくことにした。第一回目は、7月1日から8月28にまでの予定。人生でこれだけ長く休むのは、大学の夏休み以来ではないだろうか。
ところが休みに入ったその日から完全停止とはいかず、悲しいかなからだは労働モードにセットされたまま。結局、第一日は休み前にどうしてもやり残してしまった仕事をこなすために職場に出かけてしまった。
そして二日目となる今日、朝里峠一周コースに出かけた。先週の練習走ではけっこういいとこまでからだができあがってきたかと思って走り始めたら、やたらにからだが重い。峠までの上りでは途中で止まろうかとさえ思ったほど。始終、風速3m/sの向かい風に悩み、どんどん体力が奪われていく。まあ、事故やトラブルもなく帰還できたことでよしとしよう。
休暇中は天気が良ければ、とにかく自転車に乗ることを心掛けたいと思っている。
写真はこの5月に朝里峠一周コースを走ったときのもの。定山渓天狗岳の沢筋に残雪が見える。
しかしいつまでもそんなことが続くものではなく、年齢とともにいろいろなことに衰えを感じるようになるとともに、からだの奥底にじわーっとしたえも言われぬ疲れが溜まってきて、このままではなにか自分らしさが失われていくような気がしてきた。
そこで65歳の定年を迎え、再雇用されたのを期に、職場の皆さんにお願いして長期休暇をいただくことにした。第一回目は、7月1日から8月28にまでの予定。人生でこれだけ長く休むのは、大学の夏休み以来ではないだろうか。
ところが休みに入ったその日から完全停止とはいかず、悲しいかなからだは労働モードにセットされたまま。結局、第一日は休み前にどうしてもやり残してしまった仕事をこなすために職場に出かけてしまった。
そして二日目となる今日、朝里峠一周コースに出かけた。先週の練習走ではけっこういいとこまでからだができあがってきたかと思って走り始めたら、やたらにからだが重い。峠までの上りでは途中で止まろうかとさえ思ったほど。始終、風速3m/sの向かい風に悩み、どんどん体力が奪われていく。まあ、事故やトラブルもなく帰還できたことでよしとしよう。
休暇中は天気が良ければ、とにかく自転車に乗ることを心掛けたいと思っている。
写真はこの5月に朝里峠一周コースを走ったときのもの。定山渓天狗岳の沢筋に残雪が見える。
孫ども 来て、遊んで、帰る ― 2024年03月01日 22時09分40秒

ところでその孫たちだが、2月22日にやって来ると嵐のような日々が過ぎ、26日に帰って行った。
周りでは「孫は来てよし、帰ってよし」と言っているのをよく聞いていたが、まさにそのとおり。孫を駅に見送ったときは、頭がボーっとしてきた。妻はとうとう力尽き、熱を出して寝込んだ。
年に一度しか会えないのだから、どうしてもじいじとばあばははりきってしまう。こうなることは予想していたけれど、やっぱり大変だった。
ところでカメラだが、使い慣れないままにシャッターを押したのだからまともなものが撮れるはずもなく、ほとんどが失敗作ばかり。そのなかでも奇蹟的にすばらしいのが一枚あった。うぶ毛まで一本一本綺麗に写っている。もっと使いこなせるようになったら、どんな絵が見えてくるのだろうか。
周りでは「孫は来てよし、帰ってよし」と言っているのをよく聞いていたが、まさにそのとおり。孫を駅に見送ったときは、頭がボーっとしてきた。妻はとうとう力尽き、熱を出して寝込んだ。
年に一度しか会えないのだから、どうしてもじいじとばあばははりきってしまう。こうなることは予想していたけれど、やっぱり大変だった。
ところでカメラだが、使い慣れないままにシャッターを押したのだからまともなものが撮れるはずもなく、ほとんどが失敗作ばかり。そのなかでも奇蹟的にすばらしいのが一枚あった。うぶ毛まで一本一本綺麗に写っている。もっと使いこなせるようになったら、どんな絵が見えてくるのだろうか。
大江健三郎先生が亡くなった ― 2023年03月13日 15時44分01秒
さきほど、大江健三郎先生が老衰で亡くなったとのニュースが飛び込んできた。ここ数年、メディアに出てこられなかったので心配はしていたが、とうとうこの日が来てしまった。また一人大切な人を亡くした。
大江先生の作品にであったときのことは今でも鮮明に覚えている。おそらく高校2年生だったと思う。その頃、学校からの帰り道、土曜日であれば必ず町で一番大きな本屋さんに寄るのが週間となっていた。
あるとき、その本屋さんの中に入ると平積みにされていた「芽むしり仔撃ち」が目に入った。それまで大江先生の名前はおそらく知らなかったと思う。でもなぜか、私はその本に引きつけられ、数分後には本を手に取ってレジに並んでいた。
それ以来、先生の新刊が出るたびにほとんど読ませていただいた。正直、先生の文体は独特で読みやすいとは言えなかった。それでも読み続けたのは、そこには人間にとって何か大切なことが取り扱われているからと直感したからである。
特に大学生時代、人生の目標を失って迷い悩んでいたとき、大江先生の本になんども励ましを受けた。
大学に先生が講演に来られたときは、もちろんすぐに飛んでいったものである。
もっとも先生にとっては、私などは愚かな読者に過ぎなかったようで、先生が伝えたかったことをよく読みとることができたかは、はなはだ怪しい。
ここに今手元に残っている先生のご著書を掲げ、先生と一緒に(勝手にではあるが)歩んできたわが人生を振り返る。
こちらは、これまで大江先生の本を読むことがなかった妻の心にも残った作品。
大江先生の作品にであったときのことは今でも鮮明に覚えている。おそらく高校2年生だったと思う。その頃、学校からの帰り道、土曜日であれば必ず町で一番大きな本屋さんに寄るのが週間となっていた。
あるとき、その本屋さんの中に入ると平積みにされていた「芽むしり仔撃ち」が目に入った。それまで大江先生の名前はおそらく知らなかったと思う。でもなぜか、私はその本に引きつけられ、数分後には本を手に取ってレジに並んでいた。
それ以来、先生の新刊が出るたびにほとんど読ませていただいた。正直、先生の文体は独特で読みやすいとは言えなかった。それでも読み続けたのは、そこには人間にとって何か大切なことが取り扱われているからと直感したからである。
特に大学生時代、人生の目標を失って迷い悩んでいたとき、大江先生の本になんども励ましを受けた。
大学に先生が講演に来られたときは、もちろんすぐに飛んでいったものである。
もっとも先生にとっては、私などは愚かな読者に過ぎなかったようで、先生が伝えたかったことをよく読みとることができたかは、はなはだ怪しい。
ここに今手元に残っている先生のご著書を掲げ、先生と一緒に(勝手にではあるが)歩んできたわが人生を振り返る。


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