自転車考2020年09月21日 22時07分13秒

友人にセカンドバイクを譲る前に、整備をして試運転していたとき、サイコンをはずしたのだが、これが意外に新鮮だった。普段、サイコンに心を奪われていて、走りの楽しさをどこかに忘れていたのではないかと反省させられた。

当然のことだがサイコンは昔はなかった。私が学生時代、機械式速度計が自転車雑誌の広告として載っていたのを見たような気がする。いまや、格安でGPS付きのサイコンさえも売られていて、世の中はサイコンが付いていて当たり前、付いていないのはトーシロと思われてしまう。

本当だろうか。いま世間では、いかにタイムを縮めるか、それが自転車乗りの最大目標であると誰もが思っていて疑わない。私もそう思ってきた。しかし何か大切なことを忘れてしまっていなかったか。

最近、「退歩のススメ」(晶文社)という本を再読していて、考えさせられた。副題が「失われた身体観を取り戻す」とある。書かれていることは、極端なことを言えば、すべて今までの常識をひっくりかえすようなもので「止めることで観えるからだ」という項さえある。

自転車はなんのためにあるのだろうか。ただ速く走るのではなく、忘れかけていた走る楽しさを取り戻してみたい。そう思うようになった。それはどんな自転車か。いろいろ考えているところ。さて、どうなるか。

コメント

_ Aki ― 2020年09月22日 18時13分37秒

僕は4年前に心拍計のセンサー壊れてから心拍計を使うのをやめ、去年キャットアイのケイデンス付き(有線)が断線したのでジャイアントのワイヤレスの1番安いモデルに替えました。もちろんケイデンスは無しです。でも、なにも不自由はありません。重く感じてきたら軽くすればいいし、軽く感じるならシフトアップすればいいだけなので(笑)
心拍計はあった方がいいような気もするけど、追い込んでいるときなんて見る暇ないので、無くても別にいいかって思っています。
もちろんGPS付きのサイコンも買うつもりはありません(笑)

_ Kon ― 2020年09月28日 20時31分16秒

私も血気盛んな頃は心拍計をつけていましたが、今はホコリをかぶっています。ケイデンス計も同じで、最初は面白かったのですが、コツがわかってくるとまったく見なくなりました。
でも、サイコンがあるとついつい速度を気にしてしまい、自分がいかに効率の良い機械になれるか、そんなことに心を奪われいてる自分が情けないです。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://john.asablo.jp/blog/2020/09/21/9297963/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。