Vishay VAR(Naked)のエージング(その2) ― 2012年01月18日 13時21分39秒
最初はひどい音しか出さなかったVishay VAR(Naked)も、エージングが進んでくると俄然本領を発揮し始める。
昨夜はキースのサンベア・コンサートを聴いてみた。このCDは高い周波数域にスペクトルがかたよっているように聞こえる録音で、システムが悪いと耳が痛くなる音しか出てこない。
あまりにもひどいので、てっきりエンファシスがかかっているのかと思い込んだこともあった。音が悪いのは録音技術者のせいではないかとさえ疑ったこともあった。
しかしその考えは改めなければならない。再生システムの完成度が上がってくるにつれて、このCDのすばらしさが理解できるようになってきた。スペクトルが高いほうにかたよって聞こえることには変わりはない。しかし、目の前に広がる音場のすばらしさにはただただ息をのむばかりであった。からだが自然にリズムを刻み、聴く者のたましいを揺さぶってくる。 長丁場の演奏でも一気に聴きとおしてしまった。
エージングはそれでも途上にある。高いほうの音がまだこなれていない。しかし、もしNakedに人格があるとするなら、凝り固まっていた筋肉がときほぐされ、自由自在に空間を飛び跳ねているような、そんなことを空想してしまった。
出力トランスの終端抵抗。最初は軽く見ていた。しかしその影響力はばかにならない。いや、私のシステムの中でI/V変換抵抗に準ずるくらいの影響力があると感じる。いまや、システム全体の品位を決定づけるほどの要となっている。おそろしや。
昨夜はキースのサンベア・コンサートを聴いてみた。このCDは高い周波数域にスペクトルがかたよっているように聞こえる録音で、システムが悪いと耳が痛くなる音しか出てこない。
あまりにもひどいので、てっきりエンファシスがかかっているのかと思い込んだこともあった。音が悪いのは録音技術者のせいではないかとさえ疑ったこともあった。
しかしその考えは改めなければならない。再生システムの完成度が上がってくるにつれて、このCDのすばらしさが理解できるようになってきた。スペクトルが高いほうにかたよって聞こえることには変わりはない。しかし、目の前に広がる音場のすばらしさにはただただ息をのむばかりであった。からだが自然にリズムを刻み、聴く者のたましいを揺さぶってくる。 長丁場の演奏でも一気に聴きとおしてしまった。
エージングはそれでも途上にある。高いほうの音がまだこなれていない。しかし、もしNakedに人格があるとするなら、凝り固まっていた筋肉がときほぐされ、自由自在に空間を飛び跳ねているような、そんなことを空想してしまった。
出力トランスの終端抵抗。最初は軽く見ていた。しかしその影響力はばかにならない。いや、私のシステムの中でI/V変換抵抗に準ずるくらいの影響力があると感じる。いまや、システム全体の品位を決定づけるほどの要となっている。おそろしや。
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