M国への旅2018年07月09日 13時33分20秒

M国は中国の北にあって、日本では大相撲の力士を輩出しているところとして知られている。今回、仕事がらみで13日間の旅をしてきた。

首都のU市は標高1300mの高地にある。高いところは慣れているつもりだったが、最初の数日はなんとなく呼吸に違和感を感じた。そのうち気にならなくなった。現地に長く滞在している日本人の話によれば、帰国するたびに受ける健康診断ではヘモグロビンの数値が高く出るのだそうだ。スポーツ選手が高地トレーニングする理由がここにある。

写真は、U市から西に車で6時間ほどのところにある、かつてのM帝国の首都Хархорин(キリル文字表記)に向かう途中で遭遇した羊の群れ。どこにも柵がないので、自由に道路を横断していた。ヨーロッパの自転車レースでもときどき羊や牛の群れが道路を横断して選手を悩ませるシーンを見かける。家畜は柵の中、という概念で育った者には新鮮な光景である。
これは余談だが、柵から飛び出した馬がレース中の自転車と一緒に全速力で走るのをYouTubeで見たときにはのけぞってしまった。選手もさぞかし目を疑ったことだろう。

この道路を走っていると、かつての西部劇映画を思い起こさせる。草原の中に突然酒場町が道路沿いに現れ、店の前には馬がつながれている。そこを過ぎるとまた何時間もまっすぐな道路が延々と延びていく。かつて、この道を通って東西の文化が交流したのだろうと思うと、頭の中だけにしかなかったアジアの世界史が、急に身体感覚をともなって実感されてくる。

長い話を短くして、帰りに起こった出来事をひとつ。
予定ではU市から北京経由で羽田へ、そこから千歳に向かう計画だった。北京まで順調。そこで飛行機を乗り継いで羽田に向かおうとしたら、天候不順のため出発が1時間30分遅延した。ところが羽田での乗り継ぎ時間を2時間しかとっていなかったことからトラブルが発生。予定の飛行機に乗れなくなった。最悪なのはそれが最終便だったこと。急遽羽田で足止めされることに。付近のホテルはすべて満室。空港で雑魚寝を強いられることに。何年ぶりかの経験。M国ではそれほど疲れを感じなかったが、これでどっと疲労感が増してしまった。翌朝、13日ぶりに我が家に到着したときはほっとした。

さて、M国滞在によって身体がどんな影響を受けたか、興味津々である。これまで血液検査をするたびにヘモグロビンの数値が下限ギリギリの貧血体質が気になっていた。高地滞在の効果によって、速く走れるようになるのか。その記事はまた次のコラムで。

久ぶりの朝里峠一周コース2018年07月19日 21時12分34秒

7月3日はM国にいたし、10日は帰国翌日だったので無理をせずに市内一周でリハビリ。ようやく16日の月曜日、3週間ぶりに朝里峠を目指した。

出発時の天候は霧雨。ジャージが濡れるまではいかなくても、ヘルメットからときどき雨水がしたたる。この先、もっと悪化することも覚悟していたら、朝里に入ると日差しが出てきてあのきつい登りでは、じりじりと背中が焼かれるほどだった。ところが定山渓の降りると今後はどんよりと曇り空に。なんともいろいろ。

さて、朝里温泉分岐交差点までは48分で、ずっと走っていなかった割にはまあまあ。ダム記念館から魚止めの滝までのラップタイムは13分ちょうど。峠駐車場までが34分20秒。久ぶりに35分を切った。それほど調子が良いとは思わなかったが、もしかして高地トレーニングのおかげだろうか。

下りはいつものように向かい風。40Km/hを維持するのが難しい。特に四峰トンネルが近くなると、なぜかガクンと速度が落ちる。現在、トンネルは片側交互通行になっていて、向こうの入り口で待っている車のことを考えるとお尻に火がついたようにがむしゃらに走るしかない。TTさながらである。

定山渓国道のチェックポイントで2時間20分台。この先も向かい風に悩むだろうから、30分を切れるかは微妙になってきた。藤野はようやく舗装ができあがっていた。川沿から石山通を北上するも、やはり向かい風で40Km/hを出すのが難しい。北一条通で3時間10分。

結局リザルトは3時間30分59秒。今回、集中力がいまひとつだったので、交差点の信号手前ではだらだらと減速して青に切り替わるタイミングに合わせることが多かった。そこでのロスタイムが結構あったと思う。調子が良いときは、交差点ギリギリで急減速して停まり、青になると全速発進を繰り返す。
まあ、この体調でこのタイムが出たのは御の字と言うべきだろう。

ところで、帰国してから疲れが出てきたのか、一週間ほどはおなかが緩くてどんどん体重が減っていき、55.6Kgにまでなったことがある。おお、これはベスト体重と喜んだのもつかの間、今度は身体が動かない。やたらに眠くて、昼前でも眠気を催し、昼食を摂るとなおさら眠い。やっと最近、元に戻ってきた。やれやれ。

理想ダイオードブリッジ2018年07月19日 22時41分00秒

Bunpei様からLT4320を使った理想ダイオードブリッジのお話を伺ったときは、理論上どうしても回路が複雑になるわけなので実を言うとそれほど乗り気ではなかった。

そうこうしているうちに「アナログ回路のおもちゃ箱」の管理人様が基板を起こしたとの新しい情報をいただき、いつの間にか基板を何枚か無償で提供していただけるという話に展開し、気がついたらどっぷりと理想ダイオードブリッジの渦に巻き込まれていた(笑)。

LT4320については、「アナログ回路の....」を見ていただけば必要な情報がすべて書かれているのでそちらを見ていただきたい。

お譲りいただいた3枚の基板を早速組み立てて、動作試験を行ったところ、いくつか半田ミスが見つかったけれど、修正したら正常動作することを確認。ほっとする。

さて三枚をどこに入れ込むか。言葉で説明してもわかりにくいので、絵を描いた。
このうちの、右下緑色に塗った部分が理想ダイオードブリッジに入れ替えた箇所。DACのデジタル電源とアナログ電源(LとR)である。さて、音はどうなったか。現在まだエージング中で日々、微妙に変化している。もう少し落ち着いてから評価を出したい。

定番の朝里峠一周コース2018年07月26日 21時37分02秒

23日は、自宅の擁壁補修が始まるので朝方工事業者と打ち合わせを終えてから出発。
天候は晴れ、最低気温は17度で最高気温は25度。西日本では死者が出るほどの酷暑だと騒いでいるのが嘘のようで、こんなに涼しいところに住んでいてよいのかと申し訳ない気持ちになる。
風は北西の方向と予報が出ており、小樽方向に向かうときと、定山渓から札幌方面、自宅まで向かい風になるのを覚悟しなければならない。

マシンは久しぶりにLOOK595。チェーンをDLCに入れ替えたおかげでドライブ周りが非常になめらかに感じる。走り始めると少し肌寒いくらいだったが、時間が経つにつれちょうど良くなっていった。

朝里温泉分岐交差点までは48分。向かい風にしてはまずまず。ダム記念館から魚止めの滝までのラップタイムは13分20秒で、前回より遅い。峠の駐車場までのラップタイムは34分40秒で、かろうじて35分を切った。帰国してから2週間も経つと、M国での高地トレーニングの効果は跡形もない。もっとも私の場合、最初からあったのかも怪しいが。

下りはいつものように四峰トンネル手前まではなんとか40Km/hを維持するよう努力。しかしその先はガクンと速度が落ちる。定山渓に降りて国道に出てのチェックポイントでは、2時間25分。予想通りこの先は向かい風に悩まされる。
リザルトは3時間29分30秒でぎりぎり30分を切った。

体調のことについて。先週は、体力を取り戻そうと小林峠を三度登った。そのせいなのか足に乳酸がたまっている感触があり、ドカンとここ一発というときに力が入らない。おまけにぎっくり腰になりかけそうな痛みがずっと続いていたので、コンディションとしてはあまり良くない。人間にはバイオリズムというものがあるそうで、M国に行く直前が最高潮だったのかもしれず、今はじっと我慢の期間なのだろう。
若いときなら一日休めば完全回復できたのが、今はもう少し時間がかかるようになってきた。でも休みすぎると心肺が低下するし、なんとも悩ましい。

理想ダイオードブリッジ(2)2018年07月26日 22時00分47秒

アナログ回路のおもちゃ箱の管理人様からゆずっていただいた基板にLT4320とGS61004Bそれから周辺部品を半田付けしていく。表面実装部品の位置決めはもっとも神経を使う。写真では、ポリイミドテープで仮止めしている様子が写っている。
裏面の様子。この基板は様々な工夫がなされていて、裏面から半田を流し込むようにスルーホール加工がいくつかされている。これがうまくいくまで少し難儀した。
完成した基板は、仮組みした電源回路につないで必ず動作確認を行う。ここで正常動作しなかった場合は、どこかの半田付け不良である。
チェックが終わったらやっと実装に入る。写真の右に移っているのは、それまで使ってきたInfineonのSiCSBDの残骸。新旧交代の図。理想ダイオードブリッジ基板は意外に場所を占有するので、実装には工夫が必要となる。今回は、マザーボード上にドーターボードを垂直に配置する格好となった。