岩手に帰ってきた2012年03月25日 20時34分44秒

帰る前日、冷たい雪が降りしきった
 岩手で一人暮らしをしている母の米寿の祝があるというので、行ってきた。

 母は幸いにして耳は遠くなったが認知症もなくなんとか身の回りのことは一人でできている。しかし、最近は足腰が弱ってきてバスに乗って街に買い物に行くのが辛くなってきたという。1年半前に行ったときはなかった歩行器が玄関に置かれていて、着実に母のからだも弱ってきていることを認めざるを得ない。遠くに離れていると、どこかで「まだまだ大丈夫」と思い込もうとしていた。

 親戚たちも高齢となり、みな腰が曲がり敬老会のような雰囲気である。しかしまた、じいさんばあさんの横で子供たちが元気に走り回り、着実に代替わりしていることも確かだ。

 温泉からの帰り道、私の父親代わりと思っていた叔父が末期がんであることを義伯母から聞かされ、言葉が出なかった。当の本人は至って元気そうで、どこも痛くもないと言う。

 叔父夫婦を車で盛岡に送っての帰り際、叔父はわざわざ車によろよろとかけより、息子の手を握って離そうとしなかった。命のバトンタッチ。

 今生きているのは自分の命だけではない。大先輩たちの命をゆだねられて、生かされている。そんなふうに思った。

 3月19日は妻、息子、母を連れ釜石市に向かった。自分のからだをあの場所に置くことと、テレビや新聞で見ることとはまったくちがう。短い時間だったけれど、いろいろなことを考えた。自分たちは一人で生きているのではない。なくなった人たちの命をバトンタッチされて生かされている。やっぱりそんなふうに思った。

VIshay VAR(naked TX2575)2012年03月25日 20時53分01秒

Aleph-XパワーアンプのNFB抵抗をTX2575に入れ替えて以来、ずっとエージングを続けている。当初は、ひどい音しか出なかったのが、徐々に変化し、今ではまともに聞けるようになってきた。だが、まだまだエージングの完成には程遠い。まだまだ変化していく予感がする。

 エージングの変化は一筋縄ではない。直線状に良い方向に変化するとは限らない。悪い方向に変化する時があるので面食らうことがある。

 最初は高い方にスペクトルが偏り、低い方は全く出てこない。音量も小さくなった感じさえする。中音が抜けてしまい、なんだか幽霊の音を聞いているのかと思うことさえある。まずそこからスタートだ。

 そんなことを一週間程我慢しているうちに徐々にスペクトルが低い方に移動し始める。しかしその変化はゆっくりで、まだまだ高い方に偏っていることは変わりない。

 そしてもう一週間我慢していると、やっと豊かな低音が出始める。しかし勘違いしてはいけない。「豊かな」と言っても「ボンボン』とか『どんどん』というようなものではない。初めて聞くと低音が薄くなってしまったように誤解するかもしれない。無理もない。今まで偽物の低音を聞いて、それが本物だと思い込んでいたのだから。

 出てくるのは低音は風船のようにふくらませたものではない。あたりまえのことだが、まさに録音されたそのままの音である。これは聞いてみて初めて分かることだ。

 しかし最も重要なことは、音楽の感動がストレートに伝わってくることだろう。もう低音がどうの高音がどうのということなどばかばしくなってくる。私たちは「音」を聞いているのではなく、「生身の人間が演奏している音楽」を聞こうとしているのではなかったのか。

 nakedは、流布されている多くの「オーディオ言語』がいかに陳腐ものであったのかを実感させてくれる。