そして今日の音2005年11月18日 21時39分52秒

 音が日々進化し続けている。エージングが進み、出っ張りやへっこみがなくなり、全周波数帯域にわたって平坦になって来ている。いやそんな表現はほとんど意味がない。演奏される音楽だけが目の前にある。それも演奏会場が見えているかのように思われるほどの透明さだ。キース・ジャレットのトリオを聞くと、ピアノ、ドラム、ベースがどこに立っているか、手に取るように見えてくる(マルチマイク録音であるのにもかかわらずだ)。会場の床の様子まで想像されてしまう。一音一音が発せられるたびに、客席に音が向かい、そして戻ってくる残響が生々しい。聴衆も一緒になって演奏を形作っているのだ。演奏が終わると、一瞬自分がどこにいるのかとまどい、やがて我に返る。その繰り返しだ。
 居間に座りながら世界の超一流の演奏が眼前に繰り広げられるのだから、たまらない。エンジニアたちがどれほど苦労して録音したのだろうか。最高の演奏を余すところなく記録しようと努力した結果を、今私たちは聞くことが出来る。人間の感性。人間の技術。本当にすごいものだ。
 もはや音だけを聞いているだけではない。音を通してもう一つの何かが伝えられているように思われてくる。それはなんだろうか。なんと表現されるものだろうか。心の奥底に伝えられるなにかである。聖書には「ことばにならないうめき」という表現が出てくる。芸術は、人間存在の根底に触れるような言葉にできない何かを必死になって表現しようとしているのではないだろうか。
 良い音で聞きたいという単純な願いからここまで歩んで来たが、たどり着いたところは予想もしなかったはるかに奥深い世界のようである。