飼い猫召天す2020年11月15日 21時28分16秒

家族同然にかわいがっていた猫(名前はLa○b 猫種はアメショー)が本日未明にとうとう息絶えた。
我が家にやってきてから17年。天寿を全うしたと言うことだろう。先週から体調を崩し、餌が食べられなくなったばかりでなく、水も飲めなくなった。ここ数日は、腹が痛いのか15分おきくらいになんとも切ない鳴き声を出すようになり、こちらもつらくなった。

妻はからだをきれいに拭いてあげて、段ボール箱にフトンを敷き、そこへなきがらを横たえた。庭から切り取ってきた花でまわりを飾ると天国の花畑で寝ているようである。こちらは和室をきれいにしてから、友人からいただいた風炉先屏風を段ボール箱の背後に立て、それらしく整えて最期を見送ることにした。
妻と結婚してから、これまで飼ってきたのは犬が1頭と猫が3匹。いずれも途中で人に譲ったので最期まで看取ったことはない。今回が初めてである。

生まれ育った村では、あの頃どこの家にもねずみ取りのために猫がいた。放し飼いなのでご飯時になると餌を食べに帰っては来るけれど、日中はどこかに行って日向ぼっこをしたりしていた。そんな訳で家族と猫との距離はほどほどだから、大人は猫が死んでもねずみ取りがいなくなったことを嘆くだけ。子供はしくしく泣くことはあっても、翌日にはけろっとしていた。

ところが今のように家の中で飼うようになってくると、人間と猫の距離が非常に近くなる。その分きずなも強くなり、準家族くらいの位置づけになるから、いなくなってしまうと特に妻のショックが大きい。ずっと目を泣きはらしている。

妻のはなしによれば、息子が大学受験で夜遅くまで勉強しいたとき、La○bが部屋に入ってきて、息子を慰めていたらしい。

猫は何も働くわけでもないし、名を上げるためにあくせくすることもない。それでも実に幸せそうに毎日暮らしていた。そんな姿を見るたびに、人間は大切なものをどこかに置き忘れてきたのではないかと考え込んだものである。

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