生きていることの奇跡(事故からの生還)2021年04月19日 21時10分00秒

昨日(18日)のことである。
苫小牧に所用があったので車で朝方自宅を出発、道央道に入って後ろの座席に座った職場の同僚と話をしながら順調に走行していた。そのとき「事件」が起きた。

千歳インターを数キロ過ぎたあたりで、突然、車体が上下に大きく振動し、急停止してしまった。すぐに路肩に退避しようにも、エンジンは生きているのだが動力がホイールに伝わらず、アクセルを踏んでも文字通り立ち往生して、うんともすんとも動かない。外は、やや強い雨。停止したところは直線で見通しはよいとは言え、本線上の真ん中だから追突の危険がある。動転しながらも、すぐにハザードランプを点滅させながら警察に電話して応援を求める。
警察は、外を確認しながらすぐに車を離れて安全な場所に退避することと、発煙筒を焚くことを指示。三角停止版があればそれも置くようにとも言われたが、残念ながら持っていなかった。(高速道走行時は必携である)

車を確認しながら後ろの同乗者とともに外に出て、いざ発煙筒を焚こうと思って発煙筒の説明の絵を見る。ところが、まったく火がつく気配がない。発煙筒の頭とお尻を逆さにしていたことに気がついたのは、ややしばらくしてから。自動車教習所では見たことはあっても、実際に自分で火をつけるのは初めて。火がついたときはほっとした。動揺しているときは、単純なことでもまごつくものらしい。

頼みの発煙筒は5分間しかもたず、やがて火は消えてしまった。まだ警察は到着しない。とにかく、車が駐まっていることを知らせるため、安全なところに立ちながら、手を大きく振って存在をアピール。これも後から気がついたのだが、バッグには自転車用のLEDライトが入っていて、雨の中でこれを点灯させながらぐるぐる手を回せばもっと有効であっただろう。

そんなふうにしているうちに、むこうにパトロールカーの赤色灯が見えたときはほっとした。それからおよそ40分してレッカー車が到着。故障車を積もうとしても、ホイールが全輪ロックしているので、むりやりワイヤーで引き上げるしかなかったようだ。レッカー会社の方に伺ったら、高速道路でこんな故障をする車はほとんど見たことがないと言う。これを聞いて、ではなにが起きたのか、いろいろな考えが頭を駆け巡った。

車はそのまま某社の工場に送ってもらい、我ら二人は千歳空港からJRでそれぞれ自宅に戻る。
帰ってから家人にこのことを告げると、腰を抜かして震えが止まらなくなった。一歩間違えば大事故になっていてもおかしくないし、最悪の場合は命もなかった可能性もある。とうぜんである。
私も、時間が経つうちに心理的なショックが大きくなってきて、昨日、今日は何も手につかない。よって、本日の自転車走行記録はない。

ところで故障の原因である。
本日午後に工場に行って担当者から説明を聞いて唖然となった。昨年11月にこの工場に車検を依頼したのだが、その際にメーカー規定によりディファレンシャルオイルも交換した。ところが、今回故障原因調査のためにオイルを取り出したら、規定量の三割しか入っていなかったことが判明。すなわち工場の整備ミスによる故障であることを認め、平謝り。幸い、この担当者は非常に誠実ですべてを隠さずに明らかにしてくださっていることがわかったので、わずかに慰められた。

人間のすることにはミスがある。なので、工場の非を強く責めようとは思わないし、声を荒げて土下座を要求するようなクレーマーにもなりたくない。しかし、死んでいたかも、あるいは死なせていたかもしれないという心理的ショックが残っている今、このモヤモヤした思いをどうしたらいいのか自分でも扱いかねている。

今思い返せば、あのとき後続車がいなかったこと、日曜の高速道にしては通行量が比較的少なかったこと、見通しのよいところで停止したことなど、いくつかの幸運が重なり、大事故に至らなかった。最悪の中であったが、最善の結果で終わったということかもしれない。

今回のことを妻と語り合っているうちに、何事もない平凡な日々かもしれないが、生きていることそれ自体が奇跡なのかもしれないという結論に至った。