母亡くなる2015年01月12日 16時32分09秒

昨年の暮に兄から、母が危篤になったと連絡があった。遠方に住む私たちは、すぐに駆けつけることができない。たとえ行こうとしても年末年始の大混雑でとても飛行機のチケットをとることができない。新しい年をむかえられるのかどうか、やきもきしながら正月を迎えることとなった。

元旦の朝、兄嫁から送られてきたメールでは母が持ち直したとあったので少しほっとしたのもつかの間、結局翌2日の夕方に亡くなったとの知らせが入った。89歳の生涯であった。葬儀は5、6日と決まった。

4日まで続いた帰省ラッシュをかろうじて避ける事ができ、花巻までチケットはすぐに取ることができた。午前9時に花巻着。小雪が舞う中、義兄が迎えに来てくれた。

実家に向かうと、すでに葬儀屋の手で祭壇がしつらえられ、母は棺の中におさめられていた。兄から母が亡くなる前後の様子を聞く。

数年前から末期がんをわずらい、高齢者施設に入っていたが、自治体の充実したバックアップのおかげで、最期は自宅で看取ることができた。近年、病院で亡くなる人の数が増えているなか、母にとっては幸いな晩年を過ごすことができ、またあまり苦しむこともなく家族に見守られなが理想的な最期を迎えることができたと思っている。

私と妻は何もできなかったが、兄夫婦と近くに住む姉夫婦が献身的に母を支えてくれた。火葬された母は小さな骨となった。それを見た姉は泣いていた。

実家がある地域では、最初の日に火葬をしてしまい、次の日に本葬を行う習慣である。小さな頃からお世話になった親戚たちも高齢になり、世代交代している。生きている間に会えるのはこれが最後かもと思う方々もいる。

息子夫婦も長野から駆けつけてくれた。こんな機会でもなければ、普段なかなか会うことができない。息子の嫁は田舎暮らしをしてみたいと思っているくらいで、気おくれもせず実に堂々と地域の人達の間に入って、せっせとお手伝いをしていた。妻も、嫁のかいがいしい働きぶりに感心していた。

葬儀は無事に終わった。傍から見ていたらそれなりに立派な葬儀であっただろう。しかし、見えないところに複雑な影を感じないわけにはいかなかった。憎しみや悲しみ、傷、妬み、いろいろな思いが、兄夫婦やその子どもたちの心のなかに重く沈殿している。どうすることもできない。私も例外ではない。「あなたも他の人たちを傷つけていた」と、兄嫁から知らされたときは愕然とした。

人間は生きれば生きるほど、背中にいろいろな重荷を背負っていくしかないのかもしれない。おそらく母もそうであったろう。母は、鉄道屋であった父に嫁いだ。しかしその父は、肺結核で体を壊したため職を辞し百姓となった。その挫折を受け入れられず、毎晩愚痴を言っては泥酔した。にもかかわらず、母は繰り言をひとつも言うことなく、父を支え謙遜に生きた人であった。これは兄と姉そして私の三人の一致した意見である。

世の中になにか大きな功績を残したわけではないし、少し距離をおいてみれば親としていろいろな欠点もあった。しかしそれでもやはりこのような母をもつことができたことを私は誇りに思う。

新年の夢2015年01月12日 17時14分41秒

こんなパワーアンプを考えた。DACから直接駆動が可能である。もしうまく動けば究極のシンプルオーディオが実現する。バラックでもよいから時間を見つけて作ってみたい。今年の夢である。

ただし課題もある。Rnfb1,2を同時に変化させることで音量調整は可能となる。しかし、それには特殊はボリュームが必要となる。DAC側で音量調整するのが早いかもしれないが、音が良いのかどうかはまた別の話になる。

帰路多難2015年01月12日 17時44分13秒

岩手で母の葬儀を終えた私たちは、当初花巻空港から帰るつもりだった。空港に向かうと、その飛行機が花巻上空に来たのだが悪天候のため、千歳空港に引き返し、欠航するとのアナウンス。ここから悪夢が始まった。

すぐに仙台に向かうことを決断。新幹線に乗るため新花巻駅に向かう。ところがその駅の待合室が寒い。ホームに出ると寒風が吹いている。おもわず、知人からいただいた「襟巻き」を頭に巻いた(写真参照)。この際、格好などかまう余裕もない。そんなホームの下を釜石行きの一両列車が東に向かって雪原の中を走っていったのが印象的だった。

仙台空港に着く。千歳空港荒天のため引き返すかもしれないとの条件がついた。いままで何度も飛行機に乗ったが引き返したことはなかった。大丈夫だろうと思って乗り込む。ところが、本当に引き返してしまった。千歳上空にいた頃、ちょうど台風並みに発達した低気圧が千歳周辺に大雪を降らせたことをあとで知った。直前の飛行機は難を逃れたらしい。運が悪いとはこのことか。この日の千歳行きの便はすべて欠航となった。

その日は仙台に一泊。次の日の便に乗ることに。一日待てばさすがに千歳空港は大丈夫だろうと思った。のだが、次の日も天気は回復しない。昼すぎまで様子を見ていたがJALはつぎつぎと欠航になる。ところがおとなりのカウンターにあるスカイマークは飛んでいる。この違いは何?

ようやく気がついた。JAL便は小さな飛行機。スカイマーク便は座席数で比べれば4倍大きい。その差が飛ぶか飛ばないかになっていた。すぐにJALをキャンセルしてスカイマークに変更。席はがらがらだった。

出発が1時間30分以上遅れたり、降りようとしたら千歳空港が一時雪で閉鎖になったりと冷や汗の連続ではあった。とにかく無事に着いた。こんなに北海道が遠く感じられたのは初めてだ。当初の予定よりも35時間の遅れ。地球を一周したくらい疲れた。

家についたら玄関前は雪でふさがっていた。深夜11時に雪かきをしてやっと家の中に入った。一生の記憶に残る旅行となった。

FN1241 + Reflektor-D エージング快調2015年01月12日 18時19分33秒

Reflektor-DのZobelをC=100nF(Oilコン)に変更したのが、12月中旬である。それからおよそ1ヶ月エージングを重ねてきた。

当初3週間程度エージングを終えるものと予想していた。しかし、思いがけなく時間がかかっている。現時点でもまだエージングの途上にある。耐圧200Vのコンデンサに、たかだか3.5V程度の電圧しかかけていない。もしかしたらそれが原因なのかもしれない。

数日前まではひどい音だった。高音が耳に突き刺さり、声には妙な付帯音がつきまとう。それが昨夜から大きな変化があった。まだ高い方に強調音があるのだが、だいぶ以前に比べフラットに近づいてきている。

それに伴い、楽器、演奏者の実在感が増し、音楽の表情が深く豊かになってきている。からだが音楽のリズムに同期して揺れる。とはいえまだ低音は薄く、本当の実力はもっとすごいのだろうと予想ができる。完全にエージングが終了するのはあと一ヶ月かかるかもしれない。

不思議なことに、エージングが進むにつれ音量も大きくなり、フェーダーノブの位置を手前側(減衰量が大きい方向)で止めても、音が前にせり出し空間を埋め尽くす。